「人間は死にます。その後は意識も失われ、あなたの存在は無となります。この事実はだれにも避けられないものの、「畏敬」と「観察」という2つの武器を使えば、遠い未来の不安を減らすことはできます。」「畏敬」(いけい)で、永遠の時間と同期しつつ、「観察」で、今の時間を生きればいいのです。そして、マインドフルネスとは?
「最高の体調」鈴木 祐(すずき ゆう)
新進気鋭(しんしんきえい)のサイエンスライター。1976年生まれ、慶應義塾大学SFC卒業後、出版社を経て独立。10万本の科学論文の読破と600人を超える海外の学者や専門医へのインタビューを重ねながら、現在はヘルスケアをテーマとした書籍や雑誌の執筆を手掛ける。近年では、自信のブログ「パレオな男」で、心理、健康、科学に関する最新の知見を紹介し続け、3年で月間100万PVを達成。また、ヘルスケア企業などを中心に、科学的なエビデンスの見分け方などを伝える講演なども行っている。
死
(本文引用していますが、すべて記載していません、あとは「最高の体調」をご購入していただきますよう、ご了承くださいませ。)

1、死を想うことでより良い生き方を選べる?
1998年にスティーブ・ジョブズ氏がスタンフォード大学の卒業式スピーチで語った有名な1節です。「17歳の時にこんな言葉を読みました。『毎日を最後の日であるかのように生きなさい。いつか必ずひとかどの人物になれる。』私は感銘を受けました。それから33年間、毎朝鏡を見て問いかけました。『今日が人生最後の日なら、今日することは自分がしたいことだろうか?』答えがノーであるときはいつも何かを変える必要があるとわかります。」
古来から多くの賢人が「死を想え」という警句を残してきました。
「メメント・モリ」メメント・モリは、ラテン語で「自分が必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。(ウィキペディア引用)
2000年も前にストア派の哲学者セネカは「生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである」と書き残し、紀元前23年にローマの詩人ホラティウスが「明日のことはできるだけ信用せず、その日の花を摘め」と歌い、聖書にも「飲みかつ食べよう、明日には死ぬのだから」との語句が登場します。
LifeHackは、情報処理業界を中心とした「仕事術」のことで、いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群である。ハッカー文化の一つ。人生を豊かにするための方法もライフハックに当てはまります。(ウィキペディア引用)
しかし、生の有限さを想うことで、私たちは本当により良い生き方を選べるようになるのでしょうか?

社会心理学の研究によれば、その答えはイエスでもノーでもあります。
フロリダ州立大学のマシュー・ガイリオットは、「死を想うと人間は他者に優しくなる」と主張しています。2008年に、博士が行った実験では、墓場の前を通るように指示された被験者は、すれ違った人が落とした荷物を拾ってあげる確率が40%もアップしたそうです。
2010年の追試でも同じ現象が確認されており、自分の死を考えるように誘導された被験者は地球環境やコミュニティへの感謝の気持ちが増し、エコロジーや寄付活動に友好的な態度を取るようになりました。
このような現象が起きる理由について、スキッドモア大学のシェルドン・ソロモン氏は、「死への恐怖が個人の世界観を保護する方向に働いたからだ」と説明しています。どういうことでしょうか?
自分の死について考えた者は、己のはかなさをあらためて認識。そこで生まれた不安に対処すべく、より確かなものにすがりつきたい気持ちが芽生え始めます。国家、宗教、人種、自然環境、権威者、民主主義、地元の仲間・・・
そのスケールは様々ですが、自分よりも大きな構造や物語であれば何でも構いません。とにかく当人が安心できるようなサイズ感が重要になります。
いったん頼れるものが見つかると、私たちはその対象に投資をするようになります。恵まれない人への寄付を行い、見知らぬ人の落とし物を拾うことで、「自分はより大きな集団の1部なのだ」との意識を手に入れ、どうにかして死の恐怖をやわらげるのです。
2011年に東日本大震災が起きた際にも、「地域のきずなが強くなった」といった報告が方々がら出たのは記憶に新しいです。これもまた、死の感覚にたいして世界観を守るための反応だと解釈できます。ところが、「死を想え」がマイナスに働くケースも珍しくありません。
2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件テロリストにハイジャックされた4機の旅客機が、世界貿易センターやペンシルバニア郊外に墜落した大惨事です。この事件は、あらためてアメリカ国民に死の恐怖を植え付けました。
悲劇の直後がら行われた調査では、同時多発テロに関連するキーワード(911やWTCなど)を提示された被験者の多くは、反射的に自殺や殺人といった「死」に関する思考が浮かびやすくなっていたと言います。無意識に育った死の恐怖は、アメリカ人の行動を大きく変えました。
FBIの統計では、2000年には33件だったイスラム系へのヘイトクライムが、テロの年には600件まで急増。その後も偏見は根強く残り、5年後の再調査でも、ヘイトクライムの件数は同じ水準のままでした。これもまた、世界観を守るために行われた行動だと解釈できます。
テロの恐怖に対して多くの者は「アメリカ国家」を帰属の対象に選び、その結果、他民族への排他的な気分が増加、それがヘイトクライムにつながったわけです。
ヘイトクライム(英: hate crime、憎悪犯罪)とは、人種、民族、宗教、性的指向などに係る、特定の属性を持つ個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる、嫌がらせ、脅迫、暴行等の犯罪行為を指す。(ウキペディア引用)
「死を想え」は私たちの健康意識も左右します。

ロンドン大学の実験では、被験者に「早死にするのは怖いですか?」や「自分が死ぬときはみんなの記憶に残りたいですか?」などと質問し、全員に死の恐怖を思い出させたあとで、被験者がどれだけ健康な食事をしたくなったかを尋ねました。
その反応は真っ2つでした。ある者は死の恐怖で、野菜を食べたり運動をする気持ちが高まったのに、別の者は、ジャンクフードやタバコへの要求が増えたと答えたのです。
果たして、この違いはどこから出たのでしょうか?
ミズーリ大学にジェイミー・アントは、「自尊心を保つために『健康の維持』が必要だと考えているかどうかが原因だ」と考えています。
つまり、長生きのためには野菜や運動が必要だと信じている人なら、死の恐怖に対してより健康的な暮らしへの欲望が高まります。逆に、健康的な暮らしは無意味だと考えていれば、どうせ死ぬのだから好きなことをしようという気分になるでしょう。
ここでもっとも大事なのは、私たちはいつも「死の不安をやりくりしながら生きている」という事実です。
2、無意識に死への不安を感じている

このような考え方を、心理学では「脅威管理理論」と呼びます。すべての人間は無意識に死への不安を感じており、私たちが選ぶ行動の多くは、その恐怖を解消するために行われる、という説です。良かれ悪かれ、私たちは死の不安によって突き動かされています。
プレーズ・パスカルが17世紀に残した「人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、自己を幸福にするために、それらを敢えて(あえて)考えないように工夫した」という言葉は、まさに「脅威管理理論」を先取りするものです。
無意識の恐怖など検証できるのか?本人にすら認識できない恐怖感を、どうすれば研究者は外部から観察できるのでしょうか?
答えは、心理学の世界ではサブリミナル刺激を使います。
2008年にスキッドモア大学が行った実験では、学生に対して「死」「花」「スニーカー」などの単語を3ミリ秒だけ無意識下に刷り込ませました。すべては、人間の目では確認できないスピードであり、気付いた者は誰もいません。
その後で、学生たちにアメリカの政治システムに関するエッセイを読ませたところ、大きな違いが見られました。「死」のサブリミナルを刷り込まれた被験者は、「反米」よりも「親米」な内容のエッセイに良い点数をつけたのです。
無意識に起きた死の不安が己の世界観を維持したい心理を刺激し、「アメリカ」という大きなフィクションを守る方向に意識が向いたのでしょう。
「脅威管理理論」のエキスパートであるシェルドン・ソロモン博士はこう言っています。「私たちはみな不安を抱えている。自分自身の死への恐怖を、どうにかやり過ごしていかねばならないのだ」
要するに、「死を想え」というアドバイスは、私たちの考え方によって結果が変わる諸刃の剣です。それでは、私たちは死の不安に対してそのように立ち向かうべきなのでしょうか?
3、死の不安に対して原始仏教が示した解決策

狩猟採集民の死生観を確認しましょう。
オックスフォード大学の人類学者ヒュー・ブロディ博士は、狩猟採集民の死と再生の感覚を「亜北極の狩猟採集民を含めて、少なからぬ人々が『輪廻転生』を信じている。
子どもが生まれると、両親や祖父母は誰の再来か、子細(しさい)に印をあらためる。痣(あざ、ほくろ)や目鼻立ち、他の身体的特徴から、親族のうちの誰の生まれ変わりか知ろうとするのである」
狩猟採集民には「生まれ変わり」の観念が存在し、死んだ者は精霊の国でしばらく暮らしてから別の命として生まれ変わります。生と死はつねに同じような時間が循環を続ける現在の事象であり、そのぶんだけ不安も減ります。
このほかにも、「ヘヤー・インディアンは先進国の人間より死への恐怖が薄い」といった証言も多く、狩猟採集社会が先進国よりも死の恐怖に強いのは間違いないようです。
現代人は、いつ訪れるかもわからない「遠い死の予感」に対して無意識の不安を募らせます。これまで積み上げた富や地位、愛する人々との関係性などが、未来のどこかで急に奪い去られてしまう可能性への恐れです。
死の不安に対して原始仏教が示した解決策
紀元前5世紀にインドで生まれたゴータマ・ブッダは、菩提樹の下で悟りを開いたあと、人類の不安に独自のソリューションを提供しました。(ソリューション(英:solution)とは、ビジネス分野における「問題の解決方法」)
ひと言でいえば、「すべての欲望はフィクションだと気づきなさい」というものです。
「欲望」は社会を前に進めるためには欠かせないガソリンです。しかし、「欲望」は果てしない不満も生みます。ここでブッダは、すべての欲望は無だと言い切りました。人類の欲望は遺伝子の生存プログラムにもとづいており、周囲の環境に応じて常に変わり続けます。
暑ければ冷たいものが欲しくなり、寒ければ熱いものが欲しくなり、すべてば外部の刺激に対する反応であり、そこから生まれた欲望が、なにか特定の形や永遠の構造を持つことではありません。
さらにブッダは、「自分という存在」すらフィクションだと喝破しました。(喝破(かっぱ)とは、堂々と論じて(人の気づかない、隠したがる)真理を明らかにすること。また、非を大声でしかること。)
「今ここ」で行動する主体は存在しますが、結局のところ、私たちは遺伝子を残すために生まれた巨大なシステムの1部でしかありません。
「自分」とはあくまで環境とのやり取りの中に生じる自然現象の1つであり、なにも変化しない絶対的な自己は存在しえません。ありもしない自己に執着心を持つからこそ、不安が生まれるのだとブッダは言います。
「人間のうちにある諸の欲望は、常住に存在しているのではない。欲望の正体は無常なるものとして存在している。束縛されているものを捨て去ったならば、死の領域迫ってこないし、さらに次の迷いの生存を受けることもない」(ウダーナヴァルガ 中村元訳)
これが、仏教で言う「悟り」の基本的なアイディアです。死の際に消えてしまうはずの自分が存在すらしないのですから、不安も生まれないし、輪廻転生のシステムに頼る必要もありません。
ただし、原始仏教の解決策は一筋縄ではいきません。ヒトの欲望は遺伝子に書き込まれた基本プログラムであり、ブッダのアドバイスを忠実に実践しようと思えば、私たちの脳のOSを入れ替えるぐらいの作業が必要になるでしょう。
実際、ブッダも「すべての欲望を離れるためには出家をするしかない」と教えており、現代人が日常で実践していくのは不可能です。「自分が生きる価値」すら解体しなければならず、そこには大きな苦痛がともないます。
現代を生きる私たちは、狩猟採集民とブッダが編み出したアイディアをミックスさせつつ、できる範囲で死の不安を減らしていくのが現実的です。
そのためのキーワードは「畏敬」(いけい)と「観察」です。
4、畏敬の念を持つと体内の炎症レベルが下がる

2015年、カリフォルニア大学の研究チームが200人の学生に日誌を手渡し、毎日の変化を記録するように指示しました。「朝から怒られて不機嫌になった」や「夕方に友達と話して楽しかった」など、その日に自分が味わった感情を細かく記録させたうえで、その内容を被験者の体調の変化と比較したのです。
すべてのデータを分析した研究チームは、「ある感情」を体験した回数が多い者ほど、心理的な不安や体内の炎症レベルが低いという事実に気づきました。
その感情が「畏敬」(いけい)です。心理学でいう「畏敬」とは、なにか自分の理解を超えるような対象に触れた際に沸き上がる、鳥肌が立つような感情をいいます。
その対象は何でもよく、極地で壮大なオーロラの目のあたりにしたとき、オリンピックでランナーが新記録を出す瞬間を見た時、まったく新しい発想のアートに触れた時など、心の底からすごいと感嘆できれば、それは「畏敬」(いけい)です。
カリフォルニア大学の研究チームは言います。「畏敬の念には、炎症物質を適切なレベルに保つ作用がある。自然の中を歩いたり、素晴らしいアートに触れたりといった活動はいずれもポジティブな感情を引き起こし、健康や長寿に大きな影響を持つ」
実際、科学の世界では「畏敬」の不思議な効果が次々と明らかになっています。スタンフォード大学の実験では、壮大な海や山を映した動画を鑑賞した被験者は人生の満足感が上がり、チャリティなどへ寄付を行う気持ちも増加しました。
さらには、主観的な時間の感覚が長くなり、「以前よりも仕事に閊える時間が増えた気がする」と答える者がふえたというから面白いものです。
2700人を対象に行われた調査では、生まれつき「畏敬」を感じやすい性格の人ほど親切な行いが多く、目の前の欲望にも強い傾向が確認されています。
どうやら「畏敬」の感情は私たちの不安を減らし、良い人間にさせる働きを持つようなのです。何かに畏敬を感じると、私たちは自分の小ささを思い知らされ、より大きな存在の1部になったかのような感覚を得ます。
すると、その時点で私たちの意識は、自然や芸術といった息の長い存在と一体化し、頭の中の時間感覚は未来と現在を永遠でパッケージしたような状態に変わります。
永遠の時間には過去・現在・未来のすべてが含まれるため、意識の中ではすべての時間が今になったのと変わりがありません。つまり、未来が今に近づいたわけです。
5、自然、アート、偉人、感嘆するのはどれ?

ニューヨーク市立大学のロバート・J・リフトン氏は、このような意識の在り方を「自然的超越」と呼んでいます。自分を自然や宇宙という大きな存在の1部だと認識し、死の不安をやわらげる戦略のことです。
宗教の世界では、古来から意図的に自然的超越を採用してきました。カトリックの大聖堂や天井壁画、イスラム教のコーランの調べ、チベット仏教の曼荼羅(まんだら)などは、いずれも見る者に畏敬の念を起こさせ、永遠と一体化したような時間感覚を与える「安心感ジェネレーター」です。
事実、信仰心のメリットを明らかにした研究は多く、約7万5千人を10年にわたって調べたハーバード大学の調査では、週に1回のペースで礼拝に参加した女性は、まったく教会に行かない女性に比べて、その後16年間の死亡率が33%減少する傾向がありました。
ほかにも、信仰心が高いほど、自殺率が下がる現象が確認されていたり、特定の宗派やスピリチュアルを信じる者ほど、がん患者の予後が向上していたりと、もはや宗教のメリットは疑いようがありません。
好きな寺院を訪ねるもよし、曼荼羅(まんだら)の画集を眺めるもよし、讃美歌を聞くもよし。自分の中に感謝の気持ちが生まれているかどうかを意識しながら、定期的に畏敬のメンテナンスを行うとよいでしょう。
宗教以外に「畏敬」を引き起こしやすいポイント3つ
- ① 自然
- 山川草木
- 相対性理論、量子論、進化論など世の中の様々な仕組みに適応できるようなグランドセオリーも自然の1部です。
- 宇宙や人間の謎を解き明かすようなフレームワーク
- 森林や大海などの動画を定期的にみるなど
- ② アート
- 音楽、映画、絵画、演劇など高度な創作性を持つもの
- ロン・ミュエックの巨大なリアリズム彫刻や全長97メートルにも及ぶナスカの地上絵など「大きな」人工物はそれだけで畏敬の念を生みます。
- ギリシャ神話やバガヴァッド・ギターのように、壮大な世界観を描いた物語でもよい。
- 巨大なダムやスタジアムのような建造物
- モネの睡蓮(すいれん)の「新奇さ」(目新しい)
- 南米の作家ガルシア=マルケスは、日常的なシーンに幻想的な描写を溶け込ませる手法を使い、まるで読み手の現実感が崩れるかのような印象を与えてきます。
(理由はわからないが、なぜか引かれるものをポイントにする)
- ③ 人
- ブッダ、キリスト、ガンジー、アインシュタインといった歴史上の偉人、偉人伝を読む
- 現役のスポーツ選手、タレント、政治家などカリスマ性を備えた人物
- 自分が思わず感嘆や感動を覚えてしまうような人物であれば、誰を選んでも良く、偉人伝を読んだり、カリスマ性を掘り下げてみる
- そのほか、赤ちゃん、深夜の光景などに畏敬を感じるケースもあります。
6、「マインドフルネス」は効果があるのか?

ブッダが示した「悟り」までのロードマップ
- ① 呼吸のような特定の対象に意識を向ける瞑想を繰り返し、集中力を極限まで磨き上げます。
- ② その集中力を使って自分の内面をひたすら眺め、心の中に何が起きているのかを観察する瞑想をスタート。
- 「今、自分は退屈を感じている」
- 「『退屈だ』という思考が浮かんだ」
- 「頭のかゆさが気になっている」
- など、自分の思考と感情の変化にリアルタイムで気づく作業を何万回と繰り返していきます。
- ③ すると、やがて大きな変化か起きます。
- 様々な内面の移り変わりを観察するうちに、自分の中に
- 「いかなる現象も刻一刻とうつろうフィクションに過ぎない」という確信が生まれ、
- どのような欲望や感情にも巻き込まれなくなるのです。
- ④ここにおいてブッダの「悟り」は達成され、人生の苦しみは消え失せます。
果たして、このロードマップに科学的な正当性があるのかは、誰にもわかりません。しかし、ブッダの提唱した「自己観察」というソリューションについては、現時点でもメリットが認められています。
「マインドフルネス」
1970年にマサチューセッツ大学のジョン・カバット・ジン氏が提唱したアイディアで、従来の心理療法に曹洞宗で行われる座禅の要素を組み込み、仏教でいう「念」の概念を「マインドフルネス」と訳しました。
その効果は、数十年をかけて少しずつ認められ1990年代からは臨床試験も増えています。信頼性が高いのは、ジョンズ・ホプキンス大学のメタ分析です。過去に行われたマインドフルネス実験から質が高い47件をまとめ「マインドフルネス瞑想を実践すれば、不安、うつ、慢性通がほぼ確実に減る」という結論を出した研究です。
データによれば、1日に30~40分の瞑想を8週間ほど続ければ薬物治療と同じレベルで不安とうつをやわらげるのだとか。そのうえ副作用の認められなかったと言いますからまことに優秀な方法です。
マインドフルネスといえば瞑想のイメージが強いですが、あくまで手段の1つです。いっさい瞑想をしなくてもマインドフルネスは向上します。
「自己観察」の考え方をつかまずに瞑想だけを行ってもただなんとなく、になってしまいます。重要なのは、瞑想のトレーニングで得たマインドフルネスの感覚を日常の生活でも保ちながら生きることです。
そのためには、瞑想のテクニックにこだわるよりも「そもそもマインドフルネスとは、どのような感覚なのか?」を深掘りしていくほうが実りは多いです。
7、瞑想すればきっと何かが変わるという誤解

ブッダが「悟りへの道」だと言い切った「自己観察」とは、いかなる意識の状態を意味しているのでしょうか?
現在、もっとも多くの研究で使われているのは「MAAS(Mindful Attention Awareness Scale)」です。気づきと注意の程度に注目して開発された、マインドフルネスを測定する尺度。
2003年にバージニア・コモンウェルス大学のカーク・ブラウン氏が開発した尺度で、これまで数百を超える研究で妥当性が確認されてきました。「MAAS」は15の質問で構成され、誰でも自分のマインドフルネスを診断できます。まずはすべての質問に答えて、自分のマインドフルネス度を計ってみてください。
MAAS
以下の質問に6点満点で解答する。
1=「ほとんどいつもそうである」
~6=「ほとんどない」
- ①その時の感情に、後になって気づく事がある
- ②不注意や考え事が原因で物を壊したりこぼしたりすることがある
- ③今の状況に集中できないと思うことがある
- ④過程を重視せず、目標にたどり着くために急ぎがちである
- ⑤本当に気になるまで、身体的な緊張や身体の違和感に気づかないことがある
- ⑥初めて聞く人の名前をすぐに忘れがちである
- ⓻自分のしていることをそれほど意識せず、自動的に何かをしているように感じることがある
- ⑧きちんと注意を払わずに、急いで活動しがちである
- ⑨達成したいゴールののうに目が向き、今そのためにしていることには意識が向かなくなることがある
- ⑩自分のしていることを意識せずに、機械的に仕事や作業をしている
- ⑪何かをしながらも、同時に他人の会話に聞き耳を立てていることがある
- ⑫無意識のうちにどこかに向かっていて、後から考えるとどうやってそこに着いたか思い出せないことがある
- ⑬気が付くと未来や過去のことで頭が一杯になっている
- ⑭気が付くと注意を払わずに物事に取り組んでいる
- ⑮気づいたら間食をしていることがある
採点が終わったら合計して平均点を出せば完了です。
おおよその得点の目安は、
- 3.84ポイント前後・・・平均的なマインドフルネス度
- 3.95ポイント前後・・・平均より上のマインドフルネス度
- 4.38ポイント前後・・・平均よりかなり上のマインドフルネス度
- (瞑想の上級者は、だいたいこのあたりの数字に落ち着くケースが多い)
マインドフルネスな意識とは、
- 「その時の感情を自覚している」
- 「今の状況に集中できる」
- 「つねに自覚的に作業を行う」といった状態を意味します。
つまり、マインドフルネスとは、心を無にするような困難に挑むことではなく、たんなるリラックスや幸福感の言い換えでもなく、スピリチュアルや宗教的な至高体験でもない、
ごく日常的な意識の在り方です。
むやみに瞑想に打ち込む前に、まずはマインドフルネスの感覚をつかむのが先です。
8、食べながら瞑想「マインドフルイーティング」

「自己観察」の理解を深めるために、1つ実験をしてみましょう。リラックスして目を閉じ、次のステップを試してください。
- ①目の前に大きな虎のイメージを浮かべる
- ②虎のイメージを変化させようとせず、ただ観察する
これは認知行動療法の世界で「タイガータスク」と呼ばれる「自己観察」の手法です。このタスクのポイントは、意識して虎を動かしたり角度を変えたりしないこと。ただ観察するのが最大のポイントです。
実際に試してみるとわかりますが、イメージをただ見つめているうちに、勝手に虎がそのへんをうろつき始め、やがて消え失せていきます。(少しも動かないこともあります)
何度か繰り返すうちに、「勝手に動き出すイメージを見つめる感覚」がつかめるようになります。これが、いわゆる「マインドフルネス」の感覚と同じものです。このタスクでいう「虎」は、あなたの心に生まれる恐怖や不安の象徴です。
もし今後の暮らしで、自分の中にネガティブな思考や感情が生まれたら、「タイガータスク」で虎を見つめたときの感覚を思い出してください。
あなたの感情や思考は、虎と同じように勝手に目の前を動き回り、それ以上はなにもしません。さらに、観察を続ければ、ネガティブな感情と思考は勝手に消えていくでしょう。
この時点で、あなたはネガティブの波によってダメージを受けずに済んだことになります。これが、マインドフルネスを現実に活かす際の基本です。いったん「自己観察」の感覚がつかめると、日常のあらゆる状況がマインドフルネスのトレーニング場に変わります。たとえば、「皿洗い」も立派なトレーニング法の1つです。
2015年にユタ大学が行った実験では、研究チームはベトナムの高層ティク・ナット・ハンの文章を読むように被験者に指示しました。
「ともかく、皿を洗うときは皿を洗うことだけをするべきです。つまり、皿を洗っていることにしっかり心をとめながら皿洗いをする、ということです。皿を洗うことができなければ、おそらくお茶を飲むこともできないでしょう。お茶を飲みながら他のことばかり考えて、手にしたカップなどほとんど気づきもしないからです。このように、私たちは未来に心を奪われ、このひとときを本当に生きることが出来ずにいるのです」
続いて、被験者に「水の温度や洗剤の泡の感覚に意識を向けながら皿洗いをしてください」と伝えたところ、全員の内面に大きな変化が起きました。たった6分、マインドフルに皿を洗っただけで、不安や精神症のレベルが27%下がり、逆に、新しいアイデアを思いつく確率が25%も上がったのです。
雑巾がけ、歯磨き、炊事、洗濯など、すべての家事をマインドフルに行うだけでも、あなたの不安は減っていくでしょう。
「マインドフルイーティング」

ACT(アクト)やメタ認知療法などで実際に不安障害の治療に使われるほど効果が高い実践法
- ①触覚・視覚・嗅覚で味わう・・・
食品に指で触れて硬さや柔らかさを確かめます。あるいは、表面をながめて素材のテクスチャーをチェック。続けて鼻を近づけて匂いも楽しみます。これらの作業を最低でも5分続けます。
- ②自分の感覚を観察する・・・
食品の見た目や香りによって、自分の中にどのような変化が起きたかを観察します。ツバがわいたり、空腹感が増したり、過去の記憶がよみがえったりと、様々な感覚の変化を5分かけて観察していきましょう。
- ③食品を口に入れる・・・
あわてて食品を噛まず、まずは舌の上で転がしながら触感を調べ、続いて再び自分の感覚にどんな変化が起きたかを観察しましょう。目を閉じて口の中の感覚だけに意識をむけるとやりやすいでしょう。
- ④噛んで飲み込む・・・
最後に食品を噛んで飲み込みます。食品の味わい、歯や喉の感覚の変化も観察し続けます。すべてのステップを終えるまでは、だいたい10~15分ほどかかります。日常生活では、「ながら食い」を止めて、いつもよりゆっくり味わいながら食べるだけでもマインドフルネスの感覚は成長します。
2014年、ルートヴィヒ大学の実験では、時速7キロの軽いランニングを週に2時間ずつ続けた被験者は、12週間後で有意にMAASの数値が上昇しました。
「エクササイズは、呼吸ペース、心拍数、体温などに影響を与える。この変化が自分の体に意識を向けさせ、マインドフルネスを高める」と研究チームは説明しています。
運動によっておきた生理的な変化のおかげで、自動的に自分の体を観察する態度が生まれるというわけです。運動でマインドフルネスを身に着けるポイントは、自然と自分の動きに意識が向くようなレベルの運動を20~30分にわたってキープすることです。
いずれにせよ、最大の目的は、あなたの脳に備わったマインドフルの機能を自在に起動できるようになることです。ふと未来が不安になった瞬間や、感情の波に飲み込まれそうになった瞬間などに、すぐに己を「観察者」のモードに切り替えるよう意識してみてください。
9、禅僧が到達した死を超越した境地

人間は死にます。その後は意識も失われ、あなたの存在は無となります。
この事実はだれにも避けられないものの、「畏敬」(いけい)と「観察」(かんさつ)という2つの武器を使えば、遠い未来の不安を減らすことはできます。
「畏敬」(いけい)で、永遠の時間と同期しつつ、「観察」で、今の時間を生きればいいのです。
江戸中期の禅僧、白隠(白隠慧鶴(はくいん えかく))は、晩年に「人間、死ぬときは死ぬのがよい」との境地に達しました。
そこまでは困難ですが、それでも死の超越に挑戦してみる価値はあります。死の不安が少しでも減ったとき、私たちは初めて「死を想え」というアドバイスを活かせるようになるでしょう。
まとめ
「死」という問題
私たちは無意識のうちに「死」への不安を感じています。健康的な暮らしや食事、病気にも影響が大です。それには個人の考え方も大きく影響してきます。
そして、共通するのは、いつも「死の不安をやりくりしながら生きている」という事実なのです。
その不安を少しでも減らす方法があり、それは現代的かつ現実的です。それは「畏敬」(いけい)と「観察」(かんさつ)です。
- 自然、アート、偉人に感嘆し、
- 自分の小ささを思い知り、
- より大きな存在の1部になったかのような感覚を得ながら、
- 自分の中に感謝の気持ちが生まれているかどうかを定期的に「畏敬」のメンテナンスを行い、
- 自分を「観察」するという感覚をやしない、
- 日々の生活に活かしていくことで、
- ネガティブの波に飲み込まれないようになり、
- 不安の問題の解決もできるようになります。
わたしも今日から行いたいと思います。日々の生活に意識をしなくても使えるように続けていきます。本当になるほどと思えるように書いてくださって、ありがとうございました。目から鱗が落ちる思いです。最後までお読みいただきありがとうございます。
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