「優しい関係」と「言葉かけ」は認知症介護も同じです

かぼちゃカップの飲み物

認知症の人は、現実とは異なる世界に住んでいます。新しい記憶からドンドンこぼれ落ちて失われていきます。認知症の人に接するときは、事実関係や物事がきちんと合っているかどうかは、正直どうでもいいのです。認知症の人にも介護者にも「優しい関係」を作り出す手段と方法を教えます。「ぼけざまは生きざま」なのです。

【認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ】(介護ライブラリー)

著者 右馬埜節子(うまの・せつこ)

1943年、岡山県生まれ。「認知症相談センターゆりの木」代表、株式会社日本エルダリーケアーサービス執行役員。1933年、中野区役所(東京都)の認知症専門相談員(非常勤)として介護の仕に入り、2000年の介護保険制度施行と同時に民間事業所でケアマネジャーとして勤務を始める。2003年、自信が担当する認知症の人の居場所として、「デイホームゆりの木中野」を設立。その後、家族介護者の拠り所として「認知症相談センターゆりの木」を解説した。現在は「中野区地域連携型認知症疾患医療センター」の専門相談員を兼務するほか、研修・指導・講演にも携わっている。著書に「認知症の人がパッと笑顔になる言葉かけ」(講談社)がある。

(解説・引用しています)

参考までに

認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン) 厚生労働省→

認知症の人が落ち着く「引き算」を使った言葉かけ

「引き算」とは「ウソをつくこと」なのです。

2つの世界をつなぐ架け橋なんです

架け橋サンフランシスコ
#サンフランシスコ

「ウソ」というと聞こえが悪いのは百も承知ですが、実はこれが、認知症の人に寄り添う、とても良い方法なのです。第1章で説明した通り、認知症の人は「引き算の世界」、つまり現実とは異なる世界にいます。

【引き算の世界」とは→

病気である以上、私たちのいる「足し算の世界」に引き戻そうとするのは無理な話です。となると、私たちのほうから彼らの世界に歩み寄る必要がありますが、そのときに架け橋となるものこそ、この「ウソ」=現実と異なること、すなわち「引き算」なのです。

認知症の人に、私たちの世界での正しいこと=事実を「足し算」のように押し付けても、本人を「混乱」させるばかりです。言われた側が取り乱したり怒ったりすると、言う側にもストレスがたまります。どちらも疲れる「負の連鎖」が、延々続くことになるのです。

この悪循環を断ち切るには、どうすればいいのでしょう。極端な言い方ですが「説得」して止めさせようとするよりも、むしろ認知症の人のやりたいようにさせてあげることで「納得」を引き出し、良い方向へ導くほうがいいのではないでしょうか。

たとえば、自宅にいるのに「家に帰る」という人には、家に帰してあげましょう。ただし、現実には帰しようがありませんから、「引き算」=「ウソ」によって「帰して」あげるのです。その日の天候に合わせて、たとえば風がひどく強い日なら、

「外は嵐なので、今日は泊ってください。明日送って行きますから。」

認知症の人は、このような言葉で実際に落ち着いてくれるのです。たとえば、1ヶ月ほど前に死んだ飼い猫が「いない」と言って騒ぐ女性がいました。息子や孫が「もう死んだよ」「葬式もしたじゃない」と言っても、すぐ忘れて「猫がいない」と大騒ぎします。そのときは、

「猫は入院中です」

すると納得したのか、だんだん猫のことは言わなくなったそうです。このように、言葉1つでその場がおだやかにおさまるようになれば、本人にとっても介護者にとっても、これほどいいことはないはずです。まさに「嘘も方便」です。「引き算」=「ウソ」が2つの世界をつなぐ架け橋です。

忘れることを逆手にとる

高齢者10

でも、もしかしたら、このような方法は、単なるその場しのぎに見えるかもしれません。「後でウソがばれたら困る」とか「認知症の人が傷つくのではないか」と心配する人もいると思います。

ここで思い出して頂きたいのは、認知症は「忘れる病気」だということです。健康な人なら記憶にとどめておけるようなことでも、認知症の人は時間がたてば忘れてしまうのです。だから、上手くいった方法は何度でも使えるし、相手を傷つけることにもなりません。

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

(ケース事例はすべて、プライベート保護のため仮名です)

マサオさん(88歳)のケースをご紹介しましょう。

毎回、デイサービスに来て楽しそうに過ごしているのですが、家に帰ると本人が事務所に電話をかけてきます。受話器を取ると、マサオさんは必ずこう言います。「僕は退会を出したはずです。もう迎えに来ないでください。」電話に出た職員が「はい。わかりました。」と言うと、納得して電話は切れます。

そして次の利用日にマサオさんを迎えに行くと、「退会を出してあるんですよ。困ったなあ、迎えになんか来て」と言います。実はこのようなやり取りは毎度のこと。お迎えを担当する運転手も心得たもので、心底困った振りをして、

「私も困っているんです。退会届をお出しになっているのに、主治医の○○先生が迎えに行けって言うんで・・・何とかしていただけませんか」

するとマサオさん「あんたも困っているのか。弱ったなあ。じゃあ、行くよ。」と、腰を上げるのです。そしてデイサービスで1日楽しく過ごして帰宅すると、また事務所に電話が入り、「僕は退会届を出したはずです」この繰り返しが、かれこれ2年続いています。

マサオさんは何を言われたか、すっかり忘れているのです。それに対する運転手の対応は立派な「引き算」=「ウソ」ですが、このように引き算とは、認知症の1番の特徴である「忘れること」を逆手に取った方法です。

時間が経つと忘れてしまうのだから、それを利用すればいいわけです。(罪悪感はいらないです)

「引き算」でその人に寄り添う

母と子

こうした事例を通じて、読者の皆さんが「引き算は理にかなっている」と感じてくださればうれしいですが、「引き算」(=「ウソ」)することは、認知症の人に寄り添うとても良い方法である、ということです。

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

フサコさん(86歳)のケース

フサコさんは、何も背負っていないのに「背中の子、下ろしてよ」と言い続けるので、「悪い霊でもついたのか」と家族に気味悪がられていました。

あるとき「健康調査」の名目で自宅を訪問した著者が、フサコさんに「お子さんは何人ですか」と聞いてみると、「1人しか産んでいません」と言います。「しか」という言葉が引っ掛かりました。普通なら「1人です」とか「2人です」と答えるものです。家族に事情を聞いてみると、フサコさんのつらい過去がわかりました。

フサコさんが結婚して子どもを産んだのは戦時中のことです。産後の肥立ちが悪く、どうしても子どもの世話が出来なくなって病院を受診したところ「結核」と診断されました。当時、結核は死につながる恐ろしい病気でした。彼女はすぐに山の中にある療養所へ隔離入院させられたのです。生後間もない息子の世話は、実の妹に頼むことになりました。

フサコさんの闘病生活は15年に渡りました。無事に健康を回復したのですが、その間に彼女が帰るべき家は無くなっていました。妹はフサコさんの息子だけでなく、夫の世話までして、事実婚のような関係になっていたのです。フサコさんは実家に戻り、そこで小さくなって暮らしました。

その後、さらに10年ほどの月日が流れ、最初にフサコさんの夫が、次に妹が亡くなりました。その頃すでに30歳を過ぎていたフサコさんの息子は事情を知っていて、フサコさんに同居を申し出ました。フサコさんは喜んで受け入れたそうです。

しかし、息子の元に戻り、孫にも恵まれて、幸せな老後を過ごしていたのもつかの間、回覧板を押しいれに入れて忘れてしまったり、連絡網の電話をつなぎ忘れるなど、ミスが多発するようになりました。認知症の発症です。

病気とは知らない息子が、失敗をとがめると、やがてフサコさんは自室にこもって「この子を下ろして」と、負ぶってもいない子を下ろせと言っては、取り乱すようになりました。著者は、

「本物の赤ん坊に近い重さの人形を、フサコさんに背負わせてあげてください。」

と家族にアドバイスしました。すると「自分の子を自分の背中でしっかり守っている」と納得
できたのか「この子を下ろして」の訴えはなくなり、おだやかに過ごせるようになったのです。

フサコさんの心の中では、戦時中、我が子を抱けなかったことや、家を失った辛い経験が、いまだに尾を引いていたのでしょう。息子夫婦は驚くと同時に、母がふびんで胸が痛いと、涙ぐんでいました。

「ぼけざまは生きざま」です。引き算はその人の「ぼけざま」に合わせることで、「生きざま」にも合わせることになるのです。「引き算の言葉かけ」(ウソの言葉かけ)は、その人の生きざまに添っている点で、まさしく「その人らしさ」に配慮した対応と言えるのです。

「足し算」は「いじめ」につながりかねない

不安な高齢者

それでも「悪徳商法みたい」「お年寄りをだましてはいけない」という意見があるかもしれません。著者も以前、ある精神科医から「ボケているからと言って、ウソをいってはいけませんよ」と言われたことがありました。「正しい」意見だとは思うのですが、果たしてそれだけで介護が上手くいくのでしょうか。

介護施設では、嫌がる認知症の人に荒々しく説得して無理やり薬を飲ませたり、口に入れようとしてもみ合いになったり、間違った話や言葉をきつく責めたりしていました。

確かにそのテレビの特集番組の施設は、「認知症の人にわかってほしい・うまく対応したい」という職員の思いは伝わってきましたし、実際頑張っているのでしょう。ですが、日々こんな摩擦を繰り返していては、介護者はボロボロになってしまいます。

一方、認知症のお年寄りから見ると、毎日キツイ言葉を投げつけられたり、何かを無理強いされたりすることになるわけで、こんな苦しい生活はないと思います。認知症の人が混乱したり、苦しむようであれば、むしろ「いじめ」になっていると言えるのではないでしょうか。

引き算は「知恵」であり「技術」

読書

「ウソ=悪」ととらえる人がいる一方で、感情的にウソをつけないという人がいます。引き算の話をしたところ「母にウソなんてつけません」と言った女性もいました。

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります

認知症の実母を介護している女性のケース

病気になって以来、気難しくなった母親は、いつも娘のことをけなします。娘さんは実母の世話で、精神的にも肉体的にも疲れ果てていました。

ところがあるとき「たまには美味しいものでも食べよう」と、気分転換に豪華な食事を作ったところ、「あら、こんなご馳走食べたことないわ。どこのどなたか知りませんが、ご親切にありがとうございます」と母親が頭を下げたというのです。

母親は目の前の人物が誰なのかわからなくなっていたのですが、そう言われた瞬間、娘さんはハタと気づいたそうです。「そうだ、この手でいけばいい。他人を装えばいいんだ」と。

他人を装うという「ウソ」を使ってお母さんと暮らしていく。これも立派な引き算です。引き算は認知症の人と上手に付き合い、ともに生きていくための「知恵」になるのです。このような知恵の大切さは、認知症ケアの最先端と言われるスウェーデンで、すでに広く認められています。

スウェーデンでのケース

ある雑誌の記事で、スウェーデン認知症連盟の理事を勤めた女性がこう語っています。この女性は、日本のヘルパーから次のような質問を受けました。

「自分が担当している患者は元国家公務員のエリートで、非常にプライドが高い。食堂に行こうと言っても、部屋に移動しようと言っても全く言うことを聞いてくれない。どうすればいいですか?」理事の女性は次のように答えたそうです。

「私なら、「さあ、今日は県知事の諮問会議がありますから、会場へ参りましょう」と言います。プライドの高い役人が喜ぶ言葉を使うのです。こうした言葉はウソだと思いますか。私は相手の世界に寄り添うための言葉だと思っています。」

この言葉から、引き算による言葉かけが立派な「介護技術」であることを、改めて確信しました。認知症の人がおだやかでないときに「気持ちに寄り添う言葉かけ」をためらう必要があるでしょうか。引き算=「ウソ」の奥に優しさや愛情があるかどうかの問題ではないでしょうか。

引き算の心得10か条

アインシュタイン

① 積んだ知識がこぼれてる。「足し算」やめて「引き算」で

その人の世界に合わせよう。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

85歳のシンイチさんは元大学教授。

子どもの頃から神童と呼ばれるほど優秀だったそうです。教職に就いてからも、大学の重鎮としてご活躍だったと聞きました。ところがそんなシンイチさんも、現役を退いてから物忘れかひどくなりました。認知症は人を選びません。

高い知性を持つ人の「壺」(つぼ)からも、どんどん記憶がこぼれていきました。家族が1番困ったのが、「つもり病」です。

シンイチさんは、まだ自分が現役の教授のつもりでした。しばしば出勤しようとするだけでなく、「迎えの車が来ない」と表に出たきり戻ってこない、というのが日課になっていました。道に迷って帰ってこれなくなっていたのです。最初の頃は家族が総出で捜していましたが、そのうち警察からの電話を待つようになったと言います。

毎日の騒ぎにホトホト困った家族はデイサービスの利用を考え、シンイチさんと一緒に見学に来ました。ところがシンイチさんは「自分はそんなに年寄りではない、どこも悪くない!」と断固拒否します。そこでデイサービスの送迎車をシンイチさんの家につけ、

「教授会のお車です」

と引き算したところ、何事もなく来ていただく事が出来ました。以来ずっと、シンイチさんに「教授」をやって頂いています。このように「現役時代」に戻ってデイサービスに来ている人は、たくさんいます。

65歳の元酒屋の男性には、

「うちは年寄りが多くて外に出にくいので、注文をとりに来てくださいませんか」と言って来ていただいています。

元教師の人には、

「大人の学校があるんですけど、講師をお願いできませんか」とお願いして通ってもらっています。

ポイント!

「デイサービス」「施設」などといった、「いかにも介護」という印象のない言葉を使うこと。

② 説得は「ザルに水」の空しい(むなしい)作業

正論が通用するとは限りません。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

80代の女性のケース

入院病棟での出来事です。「ねえ、お部屋に行こうよ」「風邪ひくから」「先生に怒られるよ」という声がするのでそちらに目を向けると、自動販売機の脇にあるベンチに、80代くらいの女性が座っています。

女性はバスタオルのようなものを丸めて抱え込んでいますが、荷物を抱えているようでもあり、赤ん坊を抱いているようにも見えました。素足にはいている白いシューズには、大きくタミコと書かれています。

女性の隣には看護師が、泣きそうな顔で付き添っています。認知症らしきこの女性を何とか病室に連れ戻そうと、アレコレ説得しているようですが、女性は聞こえないふりをしています。しまいには子供のように「あっかんべー」をして、そっぽを向いてしまいました。

寒い冬の日、病棟内は心なしかヒンヤリとしていました。素足にシューズの姿があまりにも寒そうに見えたので、著者は友人を装って、

「あら、タミコさん、お久しぶりです。今日は赤ちゃん連れですか。
それは大変、お部屋に行かないと風邪をひくわ」

とおだやかに声をかけました。女性は、著者のほうに目を向けると、笑顔を浮かべて立ち上がり、部屋へと歩きだしました。何とかなったのは、

「お久しぶりです」と知人のように振舞うことで空気を変えたからです。
認知症の人に説得は通用しません。記憶の壺が壊れているので、理解できないのです。「説得はザルに水」、空しい(むなしい)作業なのです。むしろ、このような一言のほうが、効果を発揮するものです。

③「生きざま」が教えてくれる介護の手ほどき

その人の人生を念頭におきましょう。認知症介護(ケア)では、必ず、その人の人生を念頭において本人に対応するようにしましょう。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

元肉屋のユウさんは現在82歳。

5年前に店をたたんでから物忘れが始まり、認知症と診断されました。時々「包丁を研ぐよ」とか「おつりだよ」などと、肉屋になりきっていることがあります。

ある日、ユウさんの孫のお嫁さんから私(著者)に電話が入りました。「おじいちゃんが包丁を振り回してる!」とかなり慌てた様子。孫嫁さんが買い物から戻ったところ、包丁を持ったユウさんがキッチンから出てきたそうです。

驚いて「おじいちゃん、危ないから包丁置いて!」と言っても、
放す気配がありません。あせって大声で「置いてよ!」と叫ぶと、ユウさんは怒り出して彼女のほうへ向かってきたそうです。それで身の危険を感じ、自室へ逃げ込んでそこから電話しているとのことでした。

著者はとりあえず部屋に隠れていること、10~20分後に落ち着いたのを見計らって出ていくように、と指示をして電話を切りました。それから1週間後、孫嫁さんからまた電話があり、ユウさんは「何事もなかったみたいにテレビを見ている」とのことでした。

孫嫁さんを責めるつもりはないのですが、包丁を握っているユウさんを目にしたとき、あせらずに彼が肉屋だったことを思い出して対応してくれれば、こんな騒ぎにはならなかったのに、と著者は思ってしまいます。ではどうすればよかったのか?

「おじいちゃんは働き者ね、少しは休んでくださいよ」

と労をねぎらってから、「お茶でも」と勧めましょう。生きざまの方に引き算すれば、きっと納得してくれたはずです。

④ 「揺るがぬ言い分」には、負けて勝つ

「負けるが勝ち」と思いましょう。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります

ハナコさん(85歳)は、可愛らしい名前のわりには強情な人だったそうです。

認知症になってから、その性格がいよいよ強くなりました。食事の30分後には「ご飯まだ?」と言います。お嫁さんは「さっき食べたでしょ」を繰り返しますが聞く耳を持ちません。そのうちハナコさんの口調が激しくなるのが常で、お嫁さんはその場から逃げ出すのですが、後を追いかけてご飯の要求を続けます。

いい方法はないかと考えたお嫁さんは、食事の後の洗い物のとき、ハナコさんの茶碗だけそのまま残すことにしました。「ご飯まだ?」が始まるとハナコさんを食卓の前に連れていき、「これはおばあちゃんの茶碗でしょ、食べてあるじゃない」と茶碗を指しますが、ハナコさんは「誰かが私の茶碗で食べたのよ」と答えます。

他に方法はないかと考えたお嫁さん、今度は食事の前に紙と鉛筆を用意しておき、食べ終わると同時にハナコさんに「ご飯食べました」と書かせました。これで安心と思っていたのですが、しばらくするとまたご飯の要求が始まります。

お嫁さんはあっけにとられつつ、「おばあちゃん、これ読んで。これは誰の字?」と、先ほどの紙を見せて問い詰めたところ、ハナコさんは、「誰かが私の字に似せて書いたんだ」と言い張る始末。

茶碗を残そうが、1筆書かせようが、ハナコさんの中では、「食べてないものは食べてない」のです。脳が食べたことにならない限り、茶碗や紙を見ても、本人にはつじつまが合いません。こういう場合は、本当に食べていなかったことにしてしまいましょう。

「ごめん!炊飯器のスイッチ入れるの忘れてた。少しだけ待ってね」

と言って誤ってしまえば「ああそう」と素直に待ってくれるでしょう。もしかしたら、20~30分ほどにまた「ご飯まだ?」が始まるかもしれません。そうしたら、また「スイッチ入れるの忘れてた」が使えます。

「もう出来てるでしょ?」などと言われるのが不安だ、という人がいますが、ここは堂々と同じ手を使ってください。30分前のことを忘れるなら、ご飯が炊きあがるまでの小1時間を覚えていることなどないでしょう。

2~3度は要求されるかもしれませんが、もし、繰り返しが気になるようであれば、気分転換のためにお茶の時間にしたり、外出に誘ったり、テレビの話題などに切り替えるのもいいと思います。自分が悪いわけでもないのに謝るのは、ちょっと嫌かもしれません。でもここは割り切って「負けるが勝ち」と思ってやってみてください。

⑤ 話は短く「点」で一言、長い話は点々バラバラ

短く、易しく伝えましょう。個人差や認知症の進み具合にもよりますが、認知症の人に話しかけるときは、とにかく「短い言葉」で伝えるようにしましょう。

私たちは人の話を聞くとき、こんな経験をすることがあります。聞き始めは何のことかわかりません。ところが辛抱強く話をたどるうち、点のような一言がだんだん線のように連なっていき、やがて初めのわからなかった部分ともつながって、ついに「ああそうだったのか」とふにおちる、あの経験です。

ところが、認知症の人にはそれがありません。長いセンテンスだと、その文章を終わりまで聞く前に初めの方を忘れていまいます。

逆に、短い単語や記号、マークなどは理解してもらえます。たとえば「出口」「禁止」「故障」「危険」「便所」などは、長年生活する中で、いわば「約束事」をして身に着いた言葉なので、認知症のお年寄りにもわかりやすいのです。

「日曜日」という言葉も便利です。「休みの日」のシンボルになっているので、伝わりやすいのです。たとえば「出口はこちらですので、ご案内いたします」ではなく、「出口はこちらです」と言って、後は手でその方向を指す、です。

さらに、こういった「決まり文句」と張り紙み使う方法もあります。「約束事」として体に刻み込まれた言葉は、認知症の人にもわかるからです。1語や2語の「点」のような言葉で「パッと伝える」のがコツです。

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

大工の棟梁だったシゲルさん(83歳)

風呂好きが高じて1日に何度も入浴するようになってしまいました。なにしろ、若い頃からほぼ毎晩、「ひと仕事終えて、ひと風呂浴びて、風呂上りにビール」という生活だったので、それがすっかり習慣として彼の体に刻み込まれているのです。しかし、認知症になってしまいました。血圧が高いので家族は心配していましたが、どうしても止められません。

本日も夕食後、3回目の入浴に向かいます。ところがシゲルさん、少したって戻ってきました。「今日は停電だって!」と言います。実はシゲルさんの孫があらかじめ、浴室に

「本日停電」

と張り紙をしていたのです。停電どころか、天井を仰げばしっかり電気がついているのです。が、認知症のため「停電」という情報と現実がつながらないのです。ともあれ、何とかお風呂に入るのを止めさせることが出来ました。

このように、してほしくない行動があれば、シゲルさんのケースのように、短文で張り紙、してみてください。役立つこと請け合いです。

⑥ 「北風と太陽」無理強いはケガのもと

「力ずく」はトラブルのもとです。「北風と太陽」のイソップ童話を知らない人はいないでしょう。北風と太陽が、旅人のコートを脱がせられるかどうか競争したというお話です。

北風は強い風でコートをはぎ取ろうとしましたが、旅人が寒がってコートの襟もとをしっかり押さえて着込んだため、競争に負けてしまいました。結局、暖かい陽気を送った太陽のほうが勝ったのです。認知症にも同じことが言えます。北風のように力ずく、無理やりではだめなのです。

認知症の人によくある行動として、昼夜逆転が挙げられます。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります

ヒロシさん(75歳)もその傾向が強い人でした。

深夜2時に起き出してコートと帽子を身に着け、カバンを片手に出ていこうとします。気配に気づいた妻のツルさんが声をかけると「会社に行く」という返事です。ツルさんが「会社に行っても誰もいないよ」「電車が動いてないじゃない」と言っても聞く耳を持ちません。

腕をつかんで引き留めようとしたところ、ヒロシさんが振り払おうと力一杯腕を振り上げました。
その瞬間、こぶしがツルさんの鼻を直撃し出血させてしまったのです。

ツルさんの「ギャッ」という声で、ヒロシさんは我に返って異常に気付き「こんなひどいことをやったやつは誰だ!仇を討ってやる!」と怒鳴ります。

ツルさんが「あんたがやったのよ!手に血が付いているじゃない!」とヒロシさんの手を指さすと、その手は血で真っ赤になっているではありませんか。

これで一気に力が抜けてしまい、夫婦はがっくり座り込んだといいます。ヒロシさんは「自分がやったことも分からなくなった自分」に落胆し、ツルさんは「自分でやったことも分からなくなっている夫」のことがショックで座り込んだのでした。

認知症の人にとっては目が覚めたときが「朝」なのです。逆に周囲が暗くなると「夜だ」と思い込む傾向があります。にわか雨で空が真っ暗になったり、冬の日に、ちょっと早めに雨戸を閉めただけなのに、午後3時から夜と勘違いして布団に入る人もいます。

そんな認知症の人を力で押さえつけるのは、むなしいどころか危険でさえあります。誰かが思わぬケガをすることだってあるでしょう。こういう場合は、サラリーマンのつもりの本人に合わせましょう。

「今日は日曜日よ」

おだやかに伝え、ゆっくり休むようねぎらってみるのです。困ったときは「日曜日」にしてしまいましょう。

⓻ 正直者はバカを見る。安定剤は「ウソも方便」

「正直=いいこと」とは限りません。バカとはちょっとひどい言い方、かもしれませんが、こと認知症介護(ケア)においては、正直者が得をすることは、まったくありません。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

元公務員のトシエさん(71歳)はデイサービスに通っています

昼時になると必ず「あらもうこんな時間?帰らなきゃ」とあわて出します。毎度のことですが「ヒロコが帰ってくる。鍵を開けなきゃ」「ヒロコが遠足なのよ」と言うのです。

仕事をしていたトシエさんの娘さんは、いわゆる「カギッ子」でした。孫ができて「おばあちゃん」になり認知症を発症したトシエさんは、今は孫を娘と勘違いして、その顔を見ては「ヒロちゃん、明日遠足?」と声をかけるそうです。

なぜか「カギ」と「遠足」にこだわりがあるようですが、カギについては何となくわかっても、遠足については理由がわかりません。とはいえ、キーワードがはっきりしているので、「ヒロコが遠足なの」と言うトシエさんに、お付き合いをして

「遠足のバスは遅れるという電話が入りました」
「ヒロコさんはお弁当を食べてくるそうです。トシエさんもお昼を食べて待っててくださいって、言ってましたよ」

と噛んで含めるように伝えて落ち着いてもらっています。この引き算を足し算に変えると、何が起るでしょうか。以前、デイサービスのボランティアが、「帰らなきゃ」と動き回るトシエさんに「雨だから遠足なんてあり得ませんよ」と事実を分からせようとがんばったら、トシエさんが急に怒り出し「カギがない!」と泣きながら暴れ出したのです。

正直さがとんだ悲劇を生むのです。

⑧ 「知恵比べ」わからず屋には知恵で応戦

いろいろな言い方を考えておきましょう。引き算は生きざまに添ってしなければなりませんが、
逆にその生きざまが介護を妨げることがあります。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

イシさん(80歳)のケースがそうでした。

デイサービスで昼食の時間になっても、食事を摂ろうとしません。「私は帰りますので、結構です」の1点張りで、手を変え品を変え勧めても口を付けようとしません。

イシさんの娘のミチコさんによると、自宅でも「結構です」と言い出すそうです。イシさんは厳格なお父さんから、「よそ様のご飯時には、物欲しそうに見てないでさっさと家に帰りなさい」と、キツクしつけられたとのこと。

自宅も他人の家もわからないくらい認知症が進んでいるのに、70年も前に教え込まれたことはしっかり覚えているのが不思議なところです。いずれにしても体に染みついたものが妨げになっていました。

さあ、どうしたらいいのでしょうか?イシさんのプライドを傷つけることなく食べて頂くために
職員で知恵を出し合って、次のように対応してみました。

まず、デイサービスの昼食を、食材保管用の容器に詰めてお弁当に仕立てます。

それを「ミチコさんが届けてくださいましたよ」と声をかけてイシさんに渡します。

イシさんは「あら、母が届けてくれたの?」と嬉しそうにお弁当を食べました。身内がつくったものなら大丈夫だということでしょうか。ともかく食べ始めてしまえばこちらのもの、このように、すべて最初の1歩、導入が肝心です。

その人の世界に入り込むカギは何か、本人を前に考えに考えねばならないこともあるという点で、引き算は認知症の人との知恵比べに似ていると言えます。

⑨ 「ありがとう」と元気の種を蒔きましょう

お礼の言葉で場を和ませます。お礼を言われれば誰でもうれしいものですが、それは認知症の人も同じです。ところが、介護を受けるようになると「ありがとう」と人に言うばかりで、自分が言われることはグンと少なくなるものです。

他人にお世話されてばかりの毎日は楽しいでしょうか?

ときには認知症の人に「活躍」の場を提供することで、お礼を言われる状況をお膳立てしましょう。それがお年寄りに笑顔とおだやかな時間をもたらします。具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

  • 料理自慢のヨシさんには、「みんなが、ヨシさんの作ったホットケーキを食べたいそうよ」と伝えて、おやつ作りをしてもらう。
  • 書道が得意なヤスシさんには、「お祭りがあるんだけど、寄付をくれた人の名前を書いて頂けますか?私たち、字が下手なもので・・・」と言って書いてもらう。
  • 縫物上手のミヨさんには、「近くの学校へ雑巾の寄付をすることになったんだけど、私たちだけでやると残業になっちゃう。本当に困っているから手伝って!」と古タオルを渡し、雑巾作りをしてもらう。

本当にホットケーキが食べたいのか、祭りがあるのかはこの際問題ではありません。こちらがへりくだって、それぞれに好きなこと、得意なこと、出来ることをお願いして働いていただくのです。「仕事」が終わったら、

「今日はありがとうございました。助かりました。」

しっかりお礼を言いましょう。お年寄りの顔はさらに輝きを増すはずです。針やハサミ、ホットプレートは危険ではないのか、との意見を頂くこともありますが、「昔取った杵柄」でお手の物なのです。働く事そのものがケアになっていることをお年寄りの顔が証明してくれます。

⑩ 「忘れることを利用」それが優しい関係です

病気の特性を利用しましょう。認知症の人に接するときは、事実関係や物事がきちんと合っているかどうかは、正直どうでもいいのです。

異なる世界に歩み寄ることができる私たちが、認知症の「忘れる」という特性を上手にいかして、その場の空気を変えること。場合によっては笑顔を生み出して明るくすること。それが最も大切なことです。認知症の人にも介護者にも「優しい関係」を作り出す手段、それが私たちの提案する「引き算」を使った認知症介護なのです。

    1. 認知症の人が落ち着く「引き算」を使った言葉かけ
      1. 2つの世界をつなぐ架け橋なんです
      2. 忘れることを逆手にとる
        1. マサオさん(88歳)のケースをご紹介しましょう。
      3. 「引き算」でその人に寄り添う
        1. フサコさん(86歳)のケース
      4. 「足し算」は「いじめ」につながりかねない
      5. 引き算は「知恵」であり「技術」
        1. 認知症の実母を介護している女性のケース
        2. スウェーデンでのケース
    2. 引き算の心得10か条
      1. ① 積んだ知識がこぼれてる。「足し算」やめて「引き算」で
        1. 85歳のシンイチさんは元大学教授。
        2. 65歳の元酒屋の男性には、
        3. 元教師の人には、
        4. ポイント!
      2. ② 説得は「ザルに水」の空しい(むなしい)作業
        1. 80代の女性のケース
      3. ③「生きざま」が教えてくれる介護の手ほどき
        1. 元肉屋のユウさんは現在82歳。
      4. ④ 「揺るがぬ言い分」には、負けて勝つ
        1. ハナコさん(85歳)は、可愛らしい名前のわりには強情な人だったそうです。
      5. ⑤ 話は短く「点」で一言、長い話は点々バラバラ
          1. 大工の棟梁だったシゲルさん(83歳)
      6. ⑥ 「北風と太陽」無理強いはケガのもと
        1. ヒロシさん(75歳)もその傾向が強い人でした。
      7. ⓻ 正直者はバカを見る。安定剤は「ウソも方便」
          1. 元公務員のトシエさん(71歳)はデイサービスに通っています
      8. ⑧ 「知恵比べ」わからず屋には知恵で応戦
        1. イシさん(80歳)のケースがそうでした。
      9. ⑨ 「ありがとう」と元気の種を蒔きましょう
        1. 他人にお世話されてばかりの毎日は楽しいでしょうか?
      10. ⑩ 「忘れることを利用」それが優しい関係です
  1. まとめ

まとめ

歴史03

認知症の人は「引き算の世界」にいます。つまり、現実とは異なる世界です。新しい記憶から、どんどんこぼれ落ちて失われていきます。

私たちは「足し算の世界」にいます。現実ですし、これからどんどん記憶を足していきます。だから、私たちのほうから彼らの世界に歩み寄る必要があります。そのときに、架け橋となるものこそ「引き算」=「ウソ」=現実と異なることなのです。

「引き算の言葉かけ」で認知症の人を落ち着かせ、問題行動をなくし、ストレスを減らしてあげることができます。介護者の負担やストレスもなくなり、スムーズにお世話がやりやすくなります。

認知症を発症したときに1番不安なのは、本人なのです。自信を無くし、不安になり、さらに理解できなくなって、その結果、問題行動となり現れてきます。

そして「ぼけざまは生きざま」「十人十色」なので、その人のプライドを守りつつ、生きざまも考えながら「引き算の言葉かけ」をすることが大切です。

罪悪感を捨てて立派な「引き算の言葉かけ」や「張り紙」で問題行動をなくしていきましょう。言葉かけや伝言、張り紙は、短く、わかりやすく、生活に染み込んだ、体で覚えたものが伝わりやすいです。たとえば「日曜日」「出口」「禁止」「故障」「危険」「便所」など。

認知症の人に接するときは、事実関係や物事がきちんと合っているかどうかは、正直どうでもいいのです。異なる世界に歩み寄ることができる私たちが、認知症の「忘れる」という特性を上手にいかして、その場の空気を変えること。場合によっては笑顔を生み出して明るくすること。それが最も大切なことです。

認知症の人にも介護者にも「優しい関係」を作り出す手段、それが私たちの提案する「引き算」を使った認知症介護なのです。認知症の人の介護、在宅、自宅、家族介護に、お役に立てれば幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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