ストレスの少ない介護の理解とコツ

気持ちいい (1)

認知症の人が言い分を曲げない原因は「認知症の脳が作り出した世界」にいるからです。私たちの常識や理屈は認知症の人には通用しません。押し付ければお互いストレスになるだけです。同じことをしていても、同じものが見えているとは限らないのです。わかりやすく具体的なケースから、解決のカギを探っている著書を解説しています。

著者 右馬埜節子(うまの・せつこ)

1943年、岡山県生まれ。「認知症相談センターゆりの木」代表、株式会社日本エルダリーケアーサービス執行役員。1933年、中野区役所(東京都)の認知症専門相談員(非常勤)として介護の仕事に入り、2000年の介護保険制度施行と同時に民間事業所でケアマネジャーとして勤務を始める。2003年、自信が担当する認知症の人の居場所として、「デイホームゆりの木中野」を設立。その後、家族介護者の拠り所として「認知症相談センターゆりの木」を解説した。現在は「中野区地域連携型認知症疾患医療センター」の専門相談員を兼務するほか、研修・指導・講演にも携わっている。著書に「認知症の人がパッと笑顔になる言葉かけ」(講談社)がある。

(解説・引用しています)

2025年には、4人に1人が認知症予備軍とされています。

認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン) 厚生労働省→

認知症の人は「引き算の世界」に住んでいる

高齢者10

認知症とは、一言で言えば「忘れる病気」です。忘れると言えば、私たちも物忘れをすることがありますが、認知症の場合はそれが脳の病気によって引き起こされるのです。

「記憶の壺」(つぼ)で考えてみよう

つぼ

人間の脳を「壺」(つぼ)に見立てて、記憶がその中にたまっていくところを想像してみてください。私たちは、生まれてから死ぬまで、学習したことや体験したことをこの「記憶の壺」の中にため込んでいきます。

記憶を上手く使うことで生活でき、自分をみがくことも可能です。いわば記憶を足していき、それが「人となり=人格」となる「足し算の世界」に住んでいるのです。

認知症の人は「引き算の世界」に住んでいる

次に、この「記憶の壺」が口のほうから段々壊れていく状態を想像してみてください。中に入っているもの=記憶が、新しいものから、どんどんこぼれ落ちていくことになるでしょう。そうやって記憶が失われていくのが「認知症」という病気です。だから認知症の人は足し算とは逆に「引き算の世界」に入ったと言えます。

実際には私たちの記憶の壺に入っている記憶も、1つや2つなくなることがあります。これが普通の物忘れですが、幸いなことに壺そのものには異常がないので、他の記憶をたどれば忘れていても思い出せることがあります。

認知症の人は、壺そのものが壊れつつあります。忘れても、忘れっぱなしで、もう思い出すことはありません。直近の出来事となると5分も覚えていられないことさえあります。(食事をしたこと自体や家族の顔さえも忘れていきます。)

ところが、不思議なことに、最近の記憶は失われても、30年前、40年前のことは覚えていたりします。これは壺が上から壊れていくためです。だから認知症になると、その人のこれまでの人生が言動に現れるようになります。

(ケース事例はすべて、プライベート保護のため仮名です)

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります。

ちず子さん(87歳)の場合は、過去の仕事が行動に出ました

ある時期から彼女は、自宅の8畳の和室一杯に布団を敷き詰め、周囲には洗濯ロープを張り巡らして、そこに、ところかまわず衣類をつるすようになったのです。本人は真白いエプロンをして、布団の脇にじっと座っています。

布団はシーツの四隅(よすみ)をピッピッと引っ張ってシワ1つなく敷くという念の入れようで、誰かがその上に乗ろうものなら、たとえそれが可愛い孫であろうと、目を吊り上げて怒り出すのでした。

同居している家族には、なぜちず子さんがこんなことをするのかわかりません。お嫁さんがわけを聞いても「こうやっておけば、いつでも寝られるからね」と要領を得ません。何かおかしいと感じた息子さんが、私のところ(著者)に相談に来られたのでした。

家族の話を聞くと、ちず子さんは看護師さんだったことがわかりました。結論から言うと、行動を読み解くカギはそこにあったのです。

きちんとシーツを敷いた布団は、病院のベッドです。張り巡らせた衣類は、病院の仕切りのカーテンです。白いエプロン(白衣のつもりでしょうか)をつけて、ちず子さんは患者さんを待っていたのです。彼女は看護師として働いているつもりなのでした。

どのケースでもここまで明快に生活歴とのつながりがわかるとは限りません。また、現れるのも仕事だけではなく、過去のつらい体験だったりします。

「ぼけざまは生きざま」なのです。その人の生きざまが出るからこそ、認知症の症状は「十人十色」になるのです。

認知症の人は、自分の記憶や知識が失われていく中を生きています。今を生きるのに必要な新しい記憶は失われる一方、古い記憶は残るため、「過去の自分」になったり、「今の自分」を正しくとらえられなくなったり、何をしているのか分からなくなってしまいます。

つまり、積み上げる足し算とは真逆の「引き算の世界」を生きていると言えるのです。

認知症は「つもり病」「不精病」(ぶしょうびょう)

古いトラック

コマツさん(82歳)は材木問屋の社長さんとして活躍した人でした。

最初は1人で事業を始め、コツコツと実績を積み重ねて社員30名を抱えるまでに会社を成長させた人です。精力的に仕事をこなし、同業者の集まる会議では独創的なアイデアや面白い意見を次々を出すので、周囲からは一目置かれる存在でした。

しかし、現役を退いてから症状が出始めます。認知症と診断され、やがて夜中に起き出して「出張だ!」「電話をよこせ!」と家族にいうようになりました。この行動をどう理解したらいいのでしょうか。

実はコマツさんは、認知症によって「今」を正しくとらえられなくなり、自分は「まだ社長のつもり」「働いているつもり」になっているのです。

このような状態を私は「つもり病」と呼んでいますが、認知症の人にはよく表れる言動です。この「つもり病」は、日常生活の様々な場面に出ます。

ある認知症のお年寄りは、爪の間に垢がたまって黒くなっていて、体も臭く、長く入浴していないのがわかりました。そこで介護職員が「お風呂に入りませんか」と勧めたのですが、「昨日入ったのでいいです」と言います。これは「お風呂に入ったつもり」になっているのです。

体が臭くなるほど長期間お風呂に入らないと、誰でも気持ち悪いと感じるものです。ところが認知症の人はそうではないようです。病気により脳が損なわれて、体の感覚が全般的に鈍くなっているためです。忘れることに加えてこの感覚の問題があるため、認知症の人は自分の周りの世界を適切にとらえられなくなります。

  • ちぐはぐな服装をしている(ズボンの上にステテコをはいている、夏なのにコートを着ている)
  • 家の中がゴミ屋敷になっている
  • ひげや髪を伸び放題にしている
  • 何日も化粧を落とさず上塗りしている

これ以外にもいろいろありますが、要するに周りの人からは不精(ぶしょう)になったように見えるので、こうした特徴を「不精病」と呼んでいます。潔癖だった人やきちんとしていた人に突然この不精病がでたら、介護者は真っ先に認知症を疑ったほうがいいでしょう。

認知症は「こもり病」「疑り病」(うたぐりびょう)

記憶障害

不精病は認知症のサインと言えますが、活動的だった人が閉じこもりがちになったり、家の中で家族の居場所をやたらと気にするようになったら、それも認知症のサインです。

認知症は徐々に進行する病気なので、発症初期はそれほど生活に支障は生じないものです。これが「まだらボケ」と言います。正常に振舞える時もあれば、分からなくなる時もあるという状態。

この時、誰よりも先に「何か変だ」と感じるのは、実は本人、お年寄りなのです。そして「変だ」という自覚から「不安」が生まれ、「この変な状態を悟られたくない」という気持ちが働くので外出したがらなくなります。

1人暮らしの人だと、家にカギをかけてカーテンを閉め切り、電気もつけず、訪ねてくる人がいても応答せずに、閉じこもるようになることさえあります。これを「こもり病」と呼んでいます。

閉じこもるだけでなく、家の中で頻繁に家族を探すようになります。自分1人でいるのが不安なのです。たとえば、夫が5分おきに「おーい、どこにいる?おーい」と声をあげて妻を呼ぶようになったり、とりたてて用もないのに絶えず相手の存在を確かめるようになります。

加えて認知症の人は、家族にあらぬ疑い(うたがい)をかけることがあります。根拠もないのに「お金を盗られた」と言ったり、「浮気しているでしょう。女を連れ込むために、私をデイサービスに行かせるのね」とか、あるいは男性なら買い物に行く妻に向かって、「男に会いに行くんだろう」などと言い出します。

家族は身に覚えがないので否定しますが、いくら本当のことを言っても疑いは晴れません。これが「疑り病」(うたぐりびょう)です。元々疑い深い人もいるでしょうが、このような言動が「急にでる」ようになったり、「ひどくなったら」認知症を疑う必要があります。

認知症には「説得」より「納得」

歴史02

歳を取ると頑固になる人は珍しくありませんが、認知症の人はとりわけその傾向が強く、周囲が何を言おうと動きません。1度こうと決めると、いくら「説明」しても聞き入れないことがあります。

具体的な問題行動のケースから、解決のカギを探ります

85歳のアキコさんは「リハビリ、リハビリ」と言いながら早足に歩きます。

足腰の衰えを気にしていて、介護予防のつもりなのです。息子一家と暮らしていますが、家族が「足を傷めるからもっとゆっくり歩いたら」とか「リハビリもほどほどにしないと逆効果よ」と「説得」しても耳を貸しません。

そのうち昼間に「スーパーに行く」と言って家を出た後、夕方近くになってからようやく足を引きずり引きずり帰ってくるようになりました。明らかに道に迷っているのですが、「どこに行っていたの?」と聞いても「どこにも行っていないよ」と答えます。認知症なので、出かけたこと自体を忘れているのです。

心配になったお嫁さんは、息子に(アキコさんの孫)「学校から帰っておばあちゃんが居なかったら、すぐ捜しに行って」と頼むようになりました。もちろん夫にも「何とかしてほしい」と持ち掛けます。

ですが、相変わらずアキコさんは「説得」に耳を傾けません。たびたび外出してしまうが、帰れないわけではないので、しまいにはアキコさんの息子も「ほっとけ、そのうち帰ってくる」とさじを投げてしまいました。

85歳になるフミさんは、15年前まで薬剤師として大きな病院に勤めていた人です。

60歳で定年退職をなりましたが、再雇用で70歳まで働きました。ところがその後、80歳頃がら認知症の症状が出始め、毎朝出勤の支度を始めるようになります。今でも薬剤師のつもりのフミさんは、高血圧症の夫に処方された薬を手にして、いつもブツブツと独り言を言っています。

あるとき姿が見えなくなったので夫が捜しに出ると、近くの薬局で「なぜ私をクビにしたの!」と店員に詰め寄っています。まだ現役のつもりで、しかも縁もゆかりもない店で、クビにされたつもりになっているのでした。

どうにかして連れ戻して「お前、薬剤師は15年前に引退しただろ」「あの薬局に勤めたことなんかないじゃないか」と夫が「説得」しますが、ムダに終わりました。

このように、いったん「つもり病」が強く出てしまうと、認知症の人はそれを決して曲げません。言い分は「絶対」なのです。たとえば、自分が財布をどこに置いたか忘れただけであっても、「盗られた」お思い込んだら財布は盗まれたことになってしまいます。そこで家族が財布を見つけて渡しても、今度は、「私が盗られたと騒いだので、犯人が返しに来たんだ」と言い張ることもあります。

ところが逆に、認知症の人がすんなりと動いてくれることがあります。それは、本人が「納得」して自発的に行動するときです。

87歳の腰痛持ちの男性。

昔は風呂好きでしたが、認知症状が出始めてからというもの、すっかり入ろうとしなくなりました。家族が「入って」と勧めても、お風呂が嫌なのか、入浴した「つもり」になっているのか、「昨日入ったから今日はいいよ」を繰り返します。

そのうち体が臭うようになってきたので、家族も「汚い」「臭いよ」「みっともないわ」と毎日「説得」を続けますが、どこ吹く風。ケアマネジャーと相談して「腰痛に効く薬湯を買ったよ」と、入りたくなるように仕向けても効果なし。結局2年、お風呂に入らないままでした。

ところが、その年の暮れに状況が一変します。テレビで「年末特集」をやっているのを見たとたん「さあ、今年の垢は今年のうちにおとそうか」と自発的にお風呂に入ったのです。長く汚い2年間はこうして無事に幕引きとなりました。

何か彼なりに「納得」できるものがあり、それが行動につながったのでしょう。このように、認知症の人の言い分は「絶対」ですが、「納得」すれば動くのです。

住む世界が違うことを認識しよう

不安な高齢者

認知症の人が言い分を曲げない原因は、色々考えられます。忘れている、正しい判断ができない、不安な気持ちの裏返しとして、自分の意見にこだわるのかもしれません。

ですが、この頑固さの根本的な理由は、本人が「認知症の脳が作り出した世界」にいるからです。つまり、私たちと認知症の人では、そもそも「住んでいる世界が違う」ということです。

たとえば、つい10分前にご飯を食べたのに「食べてない」と言う認知症のお年寄りがいたとします。この人に「さっき食べたでしょう」と言っても納得しません。脳が食べていないのです。だから「食べていない」というのが、この認知症の人にとって「本当のこと」になっているのです。

引退しても、自分がまだ現役の社長だと思っている場合、私たちから見ると、それは誤りであり、おかしなことです。だからつい「そうじゃない」と説得したくなるのですが、そんなことをしても、本人の怒りを買うだけです。認知症の人は、自分が社長であるという、自分の現実の中に生きているのです。

私たちの常識や理屈は「引き算の世界」では通用しません。押し付けようとしても、お互いストレスになるだけです。同じことをしていても、同じものが見えているとは限らないのです。

むしろ認知症の人それぞれの「引き算の世界」に私たちが合わせることで、本人から「納得」を引き出し、おだやかに生活してもらえるように誘導するほうが、よほどうまくいくのではないでしょうか。「納得を引き出す方法」が「引き算する」ことなのです。

まとめ

歴史04

結論から言いますと、認知症の人の介護ですんなりとストレスなく、負担を減らすのには、認知症の人に、落ち着いていただくのが1番良いのです。認知症の人は、病気によって記憶が失われていく「引き算の世界」に住んでいます。だから私たちが、その世界に合わせて、「引き算」を使った言葉かけをすればいいのです。「納得を引き出す方法」が「引き算する」ことなのです。

では、実際に、具体的にどのようにしていけばいいのか。次回、第2章で、具体的なケースからひも解いています。すぐに使える実践例をご紹介し、深掘りしていきます。

認知症の人の介護にお役に立てれば幸いです。最後までお読みいただきありがとうございます。

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